カテゴリ:腰痛( 2 )

私の腰②

ドクターからの提案とは《今の薬にもう一種類追加できる薬があります。逆に言えば、もうそれしかないです。ただ、この薬は鎮痛効果は高いものの成分の半分は麻薬で副作用が顕著です。…どうしますか?》

…どうしますか?って、どうしましょう(¯∇¯٥)

とりあえず一旦保留にして病院を後にした。
副作用が顕著と言われるとやはり及び腰になる。
だが痛みがなくなると思えば飲んでみたいのも正直なところだ。

私は帰宅してきた花子に相談してみた。
本来なら旦那に相談が先なのは重々承知だが、まだ帰ってきてなかったの(¯∇¯٥)

一連の説明をした私に花子が言った。

《何でかわからんけど、その薬はやめといて。何かわからんけどあかん気がする》

だが痛みがなくなることがどうしても手放せない私はちょっと抵抗してみる。

《でもな、ママが楽になるんやで?痛くなくなるんやで?》

と言っても答えは否だった。
そして言う。
《パパにも聞いてみて。絶対同じ答えやから》

…えー…( *ω* )

次は帰宅した主人を捕まえて同じように説明してみる。

主人の答えも《…いやぁ…やめといた方がいいような気がするけどなぁ…》だった。

そうか。父娘同じ答えか。




…じゃあこっそり貰っちゃおー(๑˃́ꇴ˂̀๑)



じゃあ何故二人に聞いたのか。
まぁ一応ね。一応。


で、こっそり貰ったその薬をいよいよ飲んでみた。
先ずは寝る前に。
如何せん寝てるので副作用はわからなかった。だが起床後ふらつきと多少のムカつきがあった。
《ま、これぐらいなら余裕?》
と思い、調子に乗った私は朝食後の分も迷わず服用した。



これがまぁ大失敗(´•̥ω•̥`)


いやもう本気で死ぬかと思いました。
母に《あんた顔色悪いで。休んだら?》と言われながらも当日欠勤をしたくなかった。会社への道中、以前テレビで見た脱法ハーブで事故を起こし口から泡を吹いていた人の顔が浮かぶ。
私はああはなるまいと気を引き締めながら運転し、会社に到着。
だが次第にめまいと吐き気が強くなり冷や汗まで出てきたので、まさかの会社の駐車場から欠勤の連絡を入れる事態になった。
そのまま帰宅し気を失ったように寝て、夕方に目覚めた時は随分と気分が楽になっていた。


それから間もなく帰宅した花子に
《いや実は今日さぁ…》
と私の身に起こった出来事を話すと

《だから言うたやんっ(*`Д´*)
日常生活が送れなくなるような薬は今すぐやめてやっ(*`Д´*)
だいたい最初から花子は反対したやろっ(*`Д´*)》

と、非常に叱られました。
どうもすいません。

結局薬が抜けたのは夜だった。
余談だが、気持ち悪くて朝から何も食べていなかったので、薬が抜けると同時に少し空腹も覚え、ちゃんと食べることもできた。
主人に《全然食欲なかったからさぁ、あのまま3日くらい薬飲んだらめっちゃ痩せれるやん♪と思ったー》と言うと叱られました(¯∇¯٥)

だが。
その間、悔しいくらいに痛みが引いていたのも事実なのだ。
それを思うと重ね重ね残念だ。


そんな訳で期待したその薬は私には合わなかった。
本当に薬って怖いなぁとも思う。


でも今の私はやはり薬に頼って生活している。
腰というか、この酷い坐骨神経痛はやはりオペをしないとマシにはならないだろうと分かってもいる。

でも。

本当に痛みが酷くて調子が悪かった時、私の頭の中ではずっと
《このままでは、太郎を手放さなければならなくなる》
という焦りがあった。どうしようもない焦りだった。
本当に危機感を覚えていた。

オペをしたりその後の入院中、太郎君はどこかの施設に預ければいいよ、と言われる度に
《太郎を手放さなければならないのか》と思っていた。

厳密には期間限定だから手放すということではない。
でも、私の中ではその数ヶ月を施設で過ごす太郎の姿が思い浮かび、私がちょっと耐えられないなと思っていた。

なんだかんだ言いながら、やっぱり太郎は可愛い。
いずれは何処かでお世話にならなければいけないことも分かっている。
でもまだ早くない?
今じゃないような気がする。
結局のところ、私が太郎から離れられないということなのだ。


そんな母の焦りを知ってか知らずか、太郎は元気。
ニコニコと沢山喋り、沢山笑っている。

そんな太郎を見ながら、私はこの子をいつか手放すのだなぁと何とも言えない気持ちにもなる。


身障児をお持ちのお母さん。
毎日毎日の我が子の介助、本当にお疲れ様です。
致し方ないとはいえ、御自分の身体は本当に大切にして下さい。


私の心からのお願いです。







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by ganbaru-okan | 2018-10-16 11:10 | 腰痛 | Comments(4)

私の腰①

私は元々腰がネックだった。
若い頃、何度もぎっくり腰にもなったし。
でもまぁ若さは全てを覆す程のパワーがある。なのでたまに腰痛はありながらも、のほほんと過ごしてきた。

太郎が生まれて必然的に何をするにも抱っこの生活。
右手に太郎、左手に花子を抱いていた時もあるし、何よりもう太郎の生活は全てに抱っこが必要だった。

太郎がまだ療育園に通っていた頃、あまりにも痛みが増してきて病院に行き下された診断は案の定、椎間板ヘルニアだった。
しかも2ヵ所。

《なるべく重い物は持たないように》

と言われるが、何せ太郎がいるのでそうは言っても……と途方に暮れる。

ただ、まだ私は若かった。
痛みにも波があるので、痛い時は耐えたり整体に行きながらながら何とかやり過ごしてきたのだ。

その後介護の仕事を始めた。
それと共に太郎はぐんぐん重くなってきた。
仕事でも私生活でも腰を酷使した結果、ある日いきなり起き上がる時に悶絶する程の痛みに襲われた。
寝てる姿勢から大袈裟ではなく、もう泣きながらじゃないと座れなくなったのだ。
今までとは明らかに違うその痛みに、はっきりと恐怖を感じる。
仕事もあるし、何より太郎が居る。どちらも休めないから。
それと共に普通に歩けなくなった。カックンカックンと独特な歩き方になった。

ただ、そうなってから私が実際に病院に行けたのは数ヶ月後。
色々と事情が重なり自分の病院どころではなかったのだ。
でもずっと切望していたよ、病院を。

やっとの思いで病院に行き、診察室に入って初めて会うドクターは物腰の柔らかい、それでいて《僕もヘルニアで苦しみました》とこちらの気持ちを汲んで下さる人だった。
そしてレントゲンやMRIを撮り、《思った通りでした》と以前にも書いた椎間板ヘルニアの成れの果てと言われた。
病名で言うと脊柱菅狭窄症である。
高齢者に多いのだそうだ。

MRIの画像を見ながらドクターが
《もう十分オペの対象ではあるものの、オペは最終手段にして出来ることからやっていきましょう》
と穏やかに言う。

先ずは服薬から開始となった。

有名な(…か、どうかは知らない:笑)リリカという薬を飲み始めた。

この薬、今までの痛みを思うと私にとれば
《ありがとう( ´•̥ω•̥` )リリカっ♡》
と叫びたくなる程の救世主になる。
日中の痛みは格段にましになった。
リリカを飲み始めて数ヶ月。もはやリリカなしの生活なんて考えらない程だ。


だがしかし。
夜中はやはり痛みで目が覚めてしまう。
寝ている間は身体を動かさないので固まってしまうのだろう。
診察時にそれを伝えるとドクターからの提案があった。


長くなるので続きます。












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by ganbaru-okan | 2018-10-16 11:05 | 腰痛 | Comments(2)