障害の受容

私がよく言われる言葉に『いつも前向きやな!』とか『偉いなぁ!』とかがある。
何に前向きで何が偉いのかと言うとどちらも主語は『太郎』なのだ。
『太郎君のこと、いつも前向きに頑張ってるね!』『太郎君のこと、一生懸命育てていて偉いなぁ!』ってことだ。

『貴女の太郎君に対する態度は危なっかしくて見ていられません』とか『もう少し太郎君のことを頑張ってみたらどうですか?』と言われるよりはいいのかもしれない。少なくとも周りの人達にいらぬ心配はお掛けしていないのだろう。

よく『障害の受容』という言葉を聞く。その中には例えば療育を行う場所であれば、初めて障害を告知された後にその母親が子供の障害を受け入れたと思われる……と、判断することも含まれるのだと思う。
それはあくまで周りが、である。
このお母さんはもう大丈夫。この子の障害を受け入れ、しっかり前を向けたわねと判断して頂けるのだ。周りから。

……本当に余計なお世話だ。
当事者でない人に何がわかる。
いくら母親が告知に動揺していても子供がお腹が空けばミルクを与えるし、眠いと泣けば抱っこもするのだ。
その中で我が子のちょっとしたことに泣いたり笑ったりするのは当たり前じゃないのか。それを受容と言われ、そんな様子を見て『もう大丈夫』とか、ちゃんちゃらおかしい。そんな事を周りに決められてたまるか。
告知後の母の気持ちは行ったり来たり。
人様には何も言えない時期もある。どんなに絶望の中にいてもそれを出せない人だっているのだ。


太郎がもうすぐ15歳を迎える今になっても『貴女は息子さんの障害を受け入れましたか?』と聞かれたら答えに迷う。
私は障害を受け入れているのか?
でもまぁ今まで育ててきたことを思えば受け入れてるのかな。でもハッキリと胸を張って『当たり前のことだわ!受け入れてるに決まってるじゃないの!』と言い切れないのはどうしてなのか。

……まぁこればっかりは仕方ないしねぇ……。でも本音を言ってしまえば何故うちの子が……と思わなくもないけど、我が子を目の前にそれは言えないわぁ……ってとこなんじゃないか。
あ、私だけか(笑)

もしかしたら太郎がそこにいる事が当たり前で、家族の中での太郎の存在感を感じ、泣いたり笑ったりしてることが受容なのかもしれない。
難しいことは分からないけど私の人生に於いて、そんな太郎の様子に一喜一憂してることには意味はあると思う。

だからといって優しく穏やかな出来た母にはなれないんだけど、これがまた(+_+)



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by ganbaru-okan | 2017-01-19 19:14 | 息子・太郎のこと